構成素案

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○大海原・・・

朝鮮半島と日本とに間にある海峡を予感させるうねり・・・・
静かにチャンゴのリズムに乗った朝鮮語の歌が聞こえてくると、

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ト・ジナの「もう一度」の旋律に乗せて舞う一人のチョゴリ姿の女性。
優雅に、時には激しく舞う 裵梨花さん(60歳)である。
梨花さんの創作舞踊。テーマは、「別れ」。
「父母との別れ」「戦場に向かう愛おしい人々との別れ」、そして「来るべき子どもたち」との別れを哀切に胸に湛えて優雅に、しかし、時には激しく、舞い踊る。
そんな梨花さんの姿に、メインタイトルが、浮かび出る。

(仮題)「花のように あるがままに ~「在日」コリアン舞踏家・ 裵梨花~」

〇京都・祇園

早朝。飲食街の一角にある「梨花苑」。
その二階にある自宅で、朝食を摂る裵梨花さんと、夫の鄭徳鉄さん(67歳)。
学生時代、サッカーの名選手だった徳鉄さんは、ここ京都で事業を興し、一時、個人資産20億。事業の成功と失敗を繰り返し波乱万丈の人生を送ったが、今は、病を得て自宅療養中。
徳鉄さんは語る。「妻の明るさ、逞しさに何度救われたかことか・・・・」
そんな徳鉄さんと梨花さんの何気ないやりとりの中にも、長い年月をともにした二人の強い絆が覗える。

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梨花さんは、徳鉄さんをともなって病院へ。週三日の腎臓透析が必要なのである。

〇祇園の傍らを流れる鴨川。

朝の陽光にキラキラと光る水面・・・

〇自宅に戻った梨花さんは忙しい。この日のスケジュールの確認。取り掛かっている仕事の資料にも目を通す。
そこへ、電話。韓国の友人から。流暢に応対する梨花。梨花さんは韓国語とのバイリンガルでもあるのだ。

〇走る車。

運転する梨花さん。
京都の西北・西大路御池そばにあるスタジオでの舞踏のレッスンに出かける。
梨花さんに略歴を聞いてみよう。
「私は、在日コリアン二世として、岐阜県の各務原に生まれました・・・・」
(この梨花さんの声を導入に、舞踏家としてだけでなく、人権教育などにも活躍する梨花さんの略歴を、スチール写真なども交えながら紹介する。人権教育では、京都や滋賀など中学・高校300校以上を訪ねて、生徒らに自分の経験などを語ってきた)

〇ウッドワンスタジオ。

到着した梨花さんを迎える長女の香淑さん。今は日本人男性と結婚して松井と名乗っている。
香淑さんが語る母親像は?

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スタジオ内。
数人の生徒さんを教える梨花さん。
普段のにこやかな表情も引き締り、生徒に向ける眼差しも厳しい。
生徒さんの何人かに、梨花さんの印象を聞いてみよう。
「先生って言うより自然にママって呼びたくなる人ですね」等・・・・

再び続くレッスン。
そんなレッスンの合間に、一人の女性が訪ねてきた。
岡本美沙さんである。

この映画のナビゲーター役の美沙さんは、ピアニストで作曲家。ある劇映画の主演と音楽も担当した多彩な才能の持ち主である。梨花さんとの初対面の挨拶をすますと、美沙さんは、レッスンの様子を見学。
踊りのレッスンに没頭する梨花さん。見守る美沙さん・・・・

〇夕方。

京の町を走る車。
運転する梨花さんの隣に美沙さん。
今日のレッスンを見ての感想などを語り合う二人。

〇祇園にある梨花苑。

梨花さんの自宅の一階は、コリアン・ショーハウス「梨花苑」。
今から5年ほど前に、「ささやかながら、コリアン文化の種を蒔きたい」と梨花さんが開いたお店。
梨花さんは、この店を経営しながら、生活を支えている。
客席の美沙さんとの話も弾む。
例えば、朝鮮料理のこと。タンゴの演奏家でもある美沙さんと朝鮮舞踊との類似点や違いなどの芸術談義に花が咲くかもしれない。

そして、梨花さんは、一枚のカードを美沙さんに見せる。「特別永住者証明書」である。驚く美沙さん。
「特別永住権」・・・聞きなれない言葉だが、戦前から日本に居住していた韓国・朝鮮人とその子孫が日本で生活することを許された権利。以前は、常時携行しなければ罰せられたが、今は、官憲に尋ねられても、その所在を申告するだけで良いという。
梨花さんは、自分の日本名が、「佐藤」であったこと、何故、本名を名乗るようになったか、日本に帰化する「在日」コリアンが多いのなか何故、そうしないのかの思いを語る。
「自分の民族への誇り。しかし、一人のコリアンとして日本を愛している。韓国の同年代の人と感覚が合わないなどアイディンティの問題での悩みは尽きない」と語る。
真剣に聞き入る美沙さん・・・・

〇大阪・生野区。

大きな通りの舗道をやって来る美沙さん。
「私は、在日コリアンの人々のことを、本当に何も知らなかった・・・」

〇 美沙さんがやってきたのは、「在日コリアン・マイノリティ人権研究センター」

美沙さんは、同・センター理事長の仲尾宏さんに、「在日コリアン」問題についていろいろ質問する。
仲尾理事長は、京都造形大学客員教授でもあり、長年、この問題に取り組んできた。
(仲尾先生には、日本と朝鮮の長い交流の歴史の象徴ともいうべき「朝鮮通信使」の歴史的意義から説き起こしてもらい、
1910年の「韓国併合」によって、何故、「在日コリアン」と言われる人々が存在するようになったのかを簡潔に語っていただこう)

〇岐阜県・各務原市。

旧日本軍、各務原飛行場の掩体壕跡を訪ねる梨花さんと美沙さん。
この飛行機を退避させるための掩体壕は、梨花さんの父・ 裵学奉さんが日本に来て戦時中に掘っていたところだという。

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梨花さんは、市内の墓地を案内する。
父・学奉さんと母・南伊さんが、日本の土となって眠っている。
その墓前で、父母について語る梨花さん。
梨花さんが、想いを込めて話す回想・・・・母とともに祖国に帰った思い出。
(当時のビデオ映像やスチール写真を駆使して・・・)、
そして、梨花さんは、美沙さんに一冊の本を渡す。
『「募集」という名の強制連行』。学奉さんの証言を地元の郷土史家がまとめたものである。

〇兵庫県・川辺郡

山間の住宅地に美沙さんの家。
ピアノが2台並び、猫や犬が闊歩する自室で、楽譜に向かう美沙さん。
動物愛護運動にも熱心な美沙さんは、言葉にならない想いを譜面に託す。

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美沙さんは、『「募集」という名の強制連行』の数節を朗読する。

(そのバックに美沙さん作曲のピアノ曲が流れる。著作の抜粋部分は検討中だが、学奉さんが、いかに過酷な労働に晒されてきたかを中心にしたい)

〇テレビ画面

生前、学奉さんは、一度だけNHKテレビに登場したことがある。
梨花さんの姪、つまり、学奉さんの孫が、朝鮮学校として始めてバレーボールの全国大会に出場したことを扱った番組。学奉さんは、自分が掘っていた防空壕跡で、自作の歌を歌った。
その哀調溢れる歌が流れて・・・・

〇京都・東九条にある特別擁護老人ホーム「故郷の家・京都」。

入居者の半々が在日コーリアンと日本人のお年寄り。梅干とキムチを半々に出すという。
この日、慰問に訪れた梨花さんは、ボランティアの日本人アーチストと一緒に歌や踊りを披露する。
オモニたちの笑顔・・・が、生活に追われ、日本語を書けない人も多いという。
いかに、不便で、屈辱的であったことだろう。
この「故郷の家」は、京都だけでなく堺、大阪、神戸にもあり、こうした施設を運営する「こころの家族」の尹基理事長。

父が韓国人で、母が日本人。両国の懸け橋になりたいと願ってきた尹基さんは語る。

『福祉は文化です。私たちの「故郷の家」は、個人個人がお持ちの文化を主張し合い、相互に認め合えるような施設にしたいと思っています。文化を認め合うこと、すなわちその方の文化を認め合うことが個人の尊厳につながり、尊厳心を守ることに繋がるのだと考えています』

〇一転、京都市内を行進する「在特会」のヘイトスピーチデモ。

軍艦旗を振りまわし、日の丸の鉢巻を締めるなど異様ないでたちの集団には、 若い人も多い。

〇青年の肖像写真など・・・

しかし、あの戦前、言論の自由が抑圧され、政府に抵抗すると投獄され拷問さえ受けていた時代。弱冠19歳で熱烈な日本人民と朝鮮人民の連帯を歌いあげた詩人がいた。槇村浩。本名・ 吉田豊通、1932年、昭和7年のことであった。

〇韓国の美しい風景画(金斗絃・画)が次々と現れて・・・・

美沙さんのピアノ曲が流れ、字幕とともに、槇村浩の『間島パルチザンの歌』の朗読が・・・

思い出はおれを故郷に運ぶ/白頭の嶺を越え、落葉松の林を越え/蘆の根の黒く凍る沼のかなた/赤ちゃけた地肌に黒ずんだ小舎の続くところ/高麗雉子が谷に啼く鏡の村よ/雪解けの小径を踏んで/チゲを背負い、枯れ葉を集めに/姉と登った裏山の楢林よ
・・・・

  おお/蔑まれ、不具にまで傷つけられた民族の誇りと/声なき無数の苦悩を載せる故国の土地!

  そのお前の土を/飢えたお前の子らが/苦い屈辱と憤懣をこめて嚥み下すとき─

  お前の暖かい胸から無理強いにもぎ取られたお前の子らが/うなだれ、押し黙って国境を越えて行くとき─

お前の土のどん底から/二千万の民衆を揺り動かす憤激の溶岩を思え!

  おお三月一日/民族の血潮が胸を打つおれたちのどのひとりが/無限の憎悪を一瞬にたたきつけたおれたちのどのひとりが/一九一九年の三月一日を忘れようぞ!

 その日/「大韓独立万歳!」の声は全土をゆるがし/踏みにじられた日章旗に代えて/母国の旗は家々の戸ごとに翻った/胸にせまる熱い涙をもっておれはその日を思い出す!

 反抗のどよめきは故郷の村まで伝わり/自由の歌は鏡の嶺々にこだました/おお、山から山、谷から谷に溢れ出た虐げられたものらの無数の列よ!

 先頭に旗をかざして進む若者と/胸一ぱいに万歳をはるかの屋根に呼び交わす老人と/眼に涙を浮かべて古い民衆の謡をうたう女らと/草の根を囓りながら、腹の底から嬉しさに歓呼の声を振りしぼる少年たち!

  赤土の崩れる峠の上で/声を涸らして父母と姉弟が叫びながら、こみ上げてくる熱いものに我知らず流した涙を!

 おれは決して忘れない!……

〇 (画面が黒く暗転すると、字幕が出る。『1938年9月3日槇村浩、高知でこの世を去る。享年26歳。治安維持法違反による警察での拷問・拘禁による衰弱死であった』)

〇姜在彦(カン・ジェオン)さん。

朝鮮近代史、思想史研究家として著名で花園大学客員教授の姜さんは、朝鮮・済州島生まれ。戦後の激動期に日本に来て多くの辛酸を舐めながら京都大学を卒業。研究者としての一筋の道を歩んできた。
(姜先生には、終戦直後の朝鮮人の活動を支えた日本人の群像について簡潔に語ってもらおう)

〇京都・西京極中学を訪ねる裵梨花さん。

梨花さんもまた、多くの日本人との交流の中で生きてきた。
寺本義信さんとの久しぶりの再会。挨拶を交わし合う二人。梨花さんは、寺本さんが、この中学の校長を務めていた頃に出会った。
図書室に入っていく二人。書架に、何とあの『「募集」という名の強制連行』がズラリと並んでいる。その数、何と70冊。
梨花さんは、寺田さんの有形無形の応援について語る。

〇走る新幹線。

窓外には、新雪に輝く富士山が流れる。
座席に梨花。
東京に向かうのである。

〇東京。××店。

食事をする梨花さんと長男・慶樹君、それと次女・香夏さん。
慶樹君、香夏さんともにアーチスト。
慶樹君は、ダンサーとしてブラジルに憧れ、香夏さんは「KANATU」の芸名で、プロデビューしている。

二人の在日コリアンとしての考え、将来の夢などを率直に語ってもらおう・・・
そして、裵梨花さんが自分の半生、これからやっていきたいこと、その理想を熱く語る。

〇その頃、岡本美沙さんは、自宅である歌の作曲に没頭していた。
創作の苦悩。しかし、それを乗り越え、楽譜に裵梨花さんたちとの出会いで得た想いを音符に託していく。

〇京都のある音楽スタジオ。

美沙さんは、今回の映画取材を通して得た思いをベースに一つの歌を作った。タイトルは、「花のように あるがままに PartⅡ」
今日は香夏さんとの歌合わせのレッスンである。
梨花さん、梨花さんの夫・鄭さん、長女・香淑さんも顔を見せている。
美沙さんは香夏さんと打ち合わせ。この曲にかける思いを語る・・・・

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ブースでは、前奏が始まり、香夏さんが歌いはじめる。ピアノを弾く美沙さん。
〇と、画面は一転して大海原。
朝鮮半島と日本とに間にある海峡を予感させるうねり・・・・
(香夏さんの歌が流れて・・・)

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闇の中の一条のスポットライトを浴びて舞うチョゴリ姿の裵梨花さん。
梨花さん、その旋律に万感の想いを託して、ある時は優雅に、ある時は激しく、踊り続ける・・・・

梨花さんの踊りが終わると暗転。
大きな拍手の中から、また、香夏さんの歌が始まり、
あたかも、ミュージカルの舞台のカーテンコールのように、
梨花さんの日常の活動がフラッシュバックして、
クレジットタイトルがズリ上がってくる。

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